「キングダムの時代」とは、いったいどんな時代なのでしょうか?物語を楽しんでいると、登場人物のモデルや戦の背景、さらには“中華統一”という壮大なテーマがどこまで史実に基づいているのか、気になる方も多いはずです。本記事では、春秋戦国時代の歴史的背景から、秦の台頭、戦国七雄の特徴、始皇帝・嬴政の生涯、そして秦滅亡後の流れまでを丁寧に解説しています。物語が描く紀元前245年ごろの中国は、ただのフィクションの舞台ではなく、現実に起きた激動の時代です。この記事を読むことで、作品をより深く理解し、登場人物のセリフや行動の重みを史実と照らして味わえるようになります。
キングダムの時代とは?物語の出発点を理解する
舞台は中国の「春秋戦国時代」末期
漫画『キングダム』の物語が展開されるのは、中国史の中でもとりわけ動乱に満ちた「春秋戦国時代」の終盤です。時代としては、紀元前770年から始まり、紀元前221年に秦が中華統一を果たすまでのおよそ550年間。この期間は「春秋時代」と「戦国時代」の二つに分かれています。
春秋時代は紀元前770年から紀元前403年まで続き、周王朝の権威が衰える中で各地の諸侯が力をつけていった時代です。その後を継ぐ戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)は、諸侯たちが完全に独立し、それぞれが覇権を争う苛烈な戦争の時代へと突入します。
『キングダム』では、まさにこの戦国時代の末期が舞台です。当時、中国には「戦国七雄(しちゆう)」と呼ばれる7つの強国が存在し、秦(しん)、楚(そ)、燕(えん)、韓(かん)、魏(ぎ)、趙(ちょう)、斉(せい)の間で激しい勢力争いが繰り広げられていました。主人公・信(しん)や後の始皇帝となる嬴政(えいせい)が生きる秦も、当初はただの一国にすぎず、統一までには数多くの戦いと犠牲があったのです。
このように、『キングダム』の物語は、史実に基づいた非常にリアルな時代背景の中で展開されており、単なるフィクションの枠にとどまらない深みがあります。
物語の開始は紀元前245年ごろ
『キングダム』の物語が始まるのは、戦国時代の末期――具体的には紀元前245年ごろとされています。この年は、主人公の信と親友の漂(ひょう)が「天下の大将軍になる」という夢を語り合う場面から物語がスタートします。
この時期、後に始皇帝となる嬴政はまだ少年期にあり、秦の王座を巡る政争の只中にいました。彼の即位は13歳の時、すでに国の中心に立っていたとはいえ、実権を握るには多くの障害が立ちはだかっていたのです。
一方、物語の進行とともに、秦は次第に周辺諸国を圧倒し始め、紀元前230年から始まる統一戦争へと突入していきます。つまり、物語が始まる時点で、すでに中国統一まで残された年数はわずか24年ほど。史実をベースにしながらも、その過程を丹念に描く『キングダム』は、まさにこの「残されたわずかな時間で、どう国をまとめあげるのか」という緊迫感と希望を同時に孕んだ壮大なストーリーなのです。
春秋戦国時代とはどんな時代?
春秋時代と戦国時代の違いと期間
「春秋戦国時代」とひとくくりにされがちですが、実際には二つの異なるフェーズがあります。春秋時代は紀元前770年から紀元前403年、戦国時代はその続きの紀元前403年から紀元前221年までを指します。
春秋時代は、形式上は周王朝が天下を治めていたものの、実際にはその権威は衰え、各地の有力諸侯が台頭していった時代です。この頃は、諸侯同士の同盟や礼儀による秩序が保たれていましたが、やがてそれが完全に崩壊し、覇権争いが激化します。
戦国時代に入ると、諸侯はもはや形式的な王権を気にせず、実力主義のもとで戦を繰り返すようになります。兵力や経済力のある国が台頭し、小国は次第に滅ぼされ、最終的に秦による統一へと収束していきました。『キングダム』が描くこの時代は、まさに血で血を洗う戦国の終盤なのです。
分裂と戦乱が続いた約550年の歴史背景
春秋戦国時代は、約550年にわたって続いた中国史上最大級の「分裂と混乱」の時代でした。日本で言えば、戦国時代と南北朝時代が合体してさらに長引いたようなイメージです。
当時は中央政府の統一力が失われ、国が分かれ、それぞれが独自の政治体制や軍事力を発展させました。たとえば、秦では商鞅(しょうおう)による変法で中央集権化が進み、趙では騎馬戦術が発達、魏では法律や軍制が改革されるなど、各国が生き残りをかけて進化していったのです。
また、この時代はただの戦乱期ではなく、思想や文化の発展期でもありました。孔子や孟子による儒家、老子・荘子による道家、商鞅・韓非子による法家など、今の中国思想の土台が築かれたのもこの時代です。
なぜ「春秋」や「戦国」と呼ばれるのか?
「春秋時代」という名称は、当時の魯(ろ)という国の年代記である『春秋』という歴史書に由来しています。この書は年ごとに出来事を記録する形式で、後の史書のスタイルにも大きな影響を与えました。
一方で「戦国時代」という呼び名は、その名の通り、国家同士がまさに「戦を国の常」とする時代だったことに由来しています。この時期は、王や皇帝の命令ではなく、各国が自己判断で開戦し、外交・同盟・裏切りが入り乱れるリアルな戦争社会が成立していたのです。
こうした背景を踏まえると、『キングダム』が描く時代が、ただの戦争マンガではなく、歴史的にも非常に密度の高い時代を舞台にしていることがよくわかります。名前ひとつにも意味がある――それが中国古代史の面白さでもあります。
物語を彩る「戦国七雄」それぞれの国の特徴
七雄の一覧:秦・楚・燕・韓・魏・趙・斉
『キングダム』の世界では、「戦国七雄(しちゆう)」と呼ばれる7つの強国が中国全土で覇権を争っています。その7つの国とは、**秦(しん)・楚(そ)・燕(えん)・韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)・斉(せい)**のことです。
この七雄はそれぞれ地理的な位置も文化も軍事力も異なり、まさに“個性派揃い”。漫画の中では、各国がそれぞれの思惑を持ち、戦や外交でしのぎを削る様子が臨場感たっぷりに描かれています。
特に秦は、主人公・信や嬴政が所属する国家で、物語上も歴史上も最終的に全土統一を果たす国です。そのため、他の六国との関係や勢力バランスが、物語の大きな緊張感を生んでいるのです。
各国の地理・強み・文化の特徴を解説
秦(しん)
西方に位置し、山や川に囲まれた防衛に優れた地形が特徴です。地理的に他国からの侵略を受けにくく、農業も盛んで食糧資源が豊富でした。商鞅による変法で中央集権が確立され、法家思想を軸にした強大な軍事国家へと発展。漫画でも最も戦略的・組織的な動きを見せる国です。
楚(そ)
南方の大国で、他国とは異なる独自の文化を持つ豊かな地域です。自然環境に恵まれ、国土も広大ですが、政治の統一性に欠ける側面もありました。『キングダム』でも豪放なキャラや異質な戦術が目立つ国として描かれています。
燕(えん)
北東に位置し、寒冷な気候と遊牧民族との接点を持つ国。軍事面では独自の工夫が多く、地理的に孤立していたため、防御型の戦術が多い印象です。李信が攻略を目指す場面では、燕の堅固な守りが物語を大きく動かします。
韓(かん)
中原に位置する小国で、他の強国に比べるとやや影が薄く、軍事力でも劣る面がありました。ただし、鉄器の生産技術に優れていたという特徴もあります。秦による統一戦争では最初に滅ぼされた国であり、現実の歴史でも短命に終わっています。
魏(ぎ)
中国の中央に位置し、かつては戦国初期の覇者でした。優れた法制や軍事制度を持っていましたが、周囲の国々に押されて次第に衰退。かつての勢力を感じさせる誇り高い国として、物語でも描写されています。
趙(ちょう)
北方に位置し、騎馬戦術に長けた国です。名将・李牧や将軍・龐煖(ほうけん)などの登場人物を輩出し、作中でも秦の最大の強敵の一つ。戦術面でも人間関係でも、緊張感の高い展開が多く描かれています。
斉(せい)
東方の海沿いにある国で、商業や交易が盛んでした。戦闘力よりも経済力に強みがありましたが、統一戦争においては戦う前に降伏したことでも知られています。作中ではあまり登場頻度は高くありませんが、全体の勢力図において独特の立ち位置を保っています。
キングダムにおける各国の描かれ方
『キングダム』では、戦国七雄それぞれの“キャラ立ち”が際立っており、読者に強烈な印象を残します。
たとえば、秦は組織力・法治国家・改革精神を象徴する「進歩の国」として描かれ、主人公・信や嬴政の成長と連動して国力が増していきます。対して、趙は「因縁のライバル」として圧倒的な強さを誇りながらも、内政の腐敗や裏切りなど人間ドラマを多く含む国です。
楚や燕は異文化的な要素や地方色の濃い人物が多く、物語に多様な色を与えていますし、韓や魏は滅亡に向かう国の苦悩や抵抗を通じて、国とは何かを問いかけてきます。
こうした描写を通して、ただの戦争マンガにとどまらず、国家・歴史・人間のドラマとしての深みが生まれているのです。
主人公・信と嬴政(えいせい)は史実に実在したのか?
信のモデル「李信将軍」とは
信(しん)は『キングダム』の主人公として、少年時代から「天下の大将軍」を目指して奮闘する人物です。彼には史実上のモデルが存在しており、それが「李信(りしん)将軍」です。
李信は実際に秦の将軍として活躍し、特に統一戦争においては趙や楚との戦いで軍を率いた記録が残っています。たとえば、紀元前224年に楚攻略に失敗したあと、再起用されて韓や燕の制圧にも関わったとされます。
ただし、信の幼少期や人物像についての詳しい記録はほとんど残っておらず、現在のキャラクター像は史実と創作がうまく融合されたものです。作品では、泥臭く熱血な性格で読者を魅了しますが、これは作者の創作による魅力的な再構成と言えるでしょう。
始皇帝・嬴政の生涯と功績
嬴政(えいせい)は、実在の歴史人物として最も有名な存在の一人です。紀元前259年に生まれ、わずか13歳で秦王に即位し、39歳の時(紀元前221年)に中国全土を初めて統一しました。
彼が自ら名乗った「始皇帝(しこうてい)」という称号は、それまでの「王」を超える絶対的な権威を示すもので、後の中国王朝の皇帝制度の原点となった画期的な存在です。
統一後は、度量衡(単位)の統一、文字(小篆)の統一、通貨の統一、道路の整備などを通じて国家の基盤を固めました。さらに、万里の長城の建設や焚書坑儒といった国家統制も強力に推進しました。
ただし、晩年は「不老不死」を求めて水銀を摂取したとされ、その結果、紀元前210年に50歳で急死します。彼の死後、秦王朝はわずか3年で崩壊しました。
『キングダム』では、若き王・嬴政の「中華統一」への熱い想いや人間性が丁寧に描かれています。史実では暴君とされがちな始皇帝ですが、作品ではその陰と陽を併せ持つ存在として描かれており、読者に新たな視点を提供してくれる人物です。
秦の台頭と中国統一への道のり
商鞅の変法と中央集権体制の確立
秦が最終的に中国全土を統一するまでに、他の六国と比べて飛躍的に発展できた背景には、商鞅(しょうおう)による大規模な改革があります。これは「商鞅の変法(へんぽう)」と呼ばれ、紀元前356年ごろに秦の孝公の命を受けて行われました。
この改革は、それまでの封建的な制度を壊し、国家が直接人民を支配する中央集権体制を築くことを目指したものでした。具体的には、功績による昇進制度の導入、厳格な法治主義の徹底、土地の再分配などが挙げられます。たとえば、戦場での手柄によって爵位が与えられる制度は、兵士の士気を飛躍的に高めました。
また、人民を「郷・里」という単位で管理し、連帯責任制を導入したことで、治安と秩序が維持されるようになりました。これらの制度は、後の始皇帝による中国統一の大きな下地となったのです。
商鞅自身は政治的な対立から最後は処刑されてしまいましたが、彼の改革はその後の秦を「最も現代的な国家」へと変貌させ、軍事・経済ともに他国を圧倒する礎を築いたと言えるでしょう。
秦の統一戦争(紀元前230年〜紀元前221年)
秦による中国統一戦争は、わずか9年間という短期間で怒涛のごとく展開されました。紀元前230年から紀元前221年までの間に、戦国七雄の残る6カ国(韓・趙・魏・楚・燕・斉)を次々に滅ぼしていくという驚異的な進軍です。
最初の標的となったのは韓で、紀元前230年に降伏。続いて、強国趙が紀元前228年に陥落、魏も紀元前225年に滅ぼされます。特に趙戦では、李牧(りぼく)など名将を擁する激しい戦いが展開され、物語でも緊張感の高いエピソードとして描かれています。
続いて、南方の大国楚が紀元前223年に滅亡。楚攻略は一度失敗し、将軍の再配置や戦略変更が必要だったため、秦にとって最も難関のひとつでした。次いで、紀元前222年には北東の燕が滅ぼされ、最後に紀元前221年、東海岸に位置する斉が戦わずして降伏。これにより、中国全土が秦によって統一され、嬴政は「始皇帝」を名乗ることになります。
この一連の戦争は、単なる力押しではなく、外交戦略・地政学・軍事改革を融合させた非常に高度な統一事業でした。
「遠交近攻」戦略と武将たちの活躍
秦の統一が成功した背景には、「遠交近攻(えんこうきんこう)」という非常に有効な戦略がありました。これは、遠くの国とは同盟を結び、近くの国から順に攻め滅ぼすという地政学的な戦略です。
この戦略により、秦は同時多発的な戦争を避け、効率的に国力を集中させることができました。たとえば、趙を攻めている間は、斉と同盟関係を築いて東側を安定させることで、全軍を北方に集中させたのです。
また、この統一戦争を支えたのが数々の優秀な武将たちです。**王翦(おうせん)・蒙武(もうぶ)・李信(りしん)**といった将軍たちは、戦場で圧倒的な戦略と指揮能力を発揮しました。特に王翦は、楚攻略戦において重要な役割を果たし、始皇帝からの厚い信頼を得ていました。
『キングダム』でもこれらの武将たちがリアルかつ個性豊かに描かれ、物語にさらなる奥行きを与えています。軍略と人間ドラマが交差する壮大な物語は、こうした史実に基づいているからこそ深みがあるのです。
始皇帝の統治と改革
度量衡・文字・通貨の統一
秦が統一国家としての体制を整える上で、始皇帝が真っ先に取り組んだのが「統一政策」でした。その中でも特に重要だったのが、度量衡(物の長さ・重さ・容積)・文字・通貨の統一です。
これらは、それまで各国でバラバラに運用されていたため、商業活動や行政、さらには軍の連携にも支障をきたしていました。そこで始皇帝は、全国で同じ基準を使うことを徹底し、経済や物流を円滑にし、国家としての一体感を高めたのです。
文字においては「小篆(しょうてん)」という書体に統一され、これは官僚制度の効率化にも大きく貢献しました。通貨も「半両銭」と呼ばれる形状に統一され、国の経済が急速に安定します。
このような徹底した標準化は、近代国家が目指すべき姿を2000年以上前にすでに実行していたことを意味しており、始皇帝の先見性の高さが伺えます。
万里の長城と焚書坑儒
始皇帝の統治政策の中で象徴的な事業のひとつが、万里の長城の建設です。これは北方の遊牧民族(匈奴など)からの侵入を防ぐため、既存の城壁を繋ぎ合わせて築かれました。総延長は約2万キロにも及び、現在でもその遺構が残されています。
この事業は国防という目的もさることながら、国内の反乱分子や余った労働力を分散させるためでもありました。反面、過酷な労役により多くの人民が命を落とし、民の不満を買ったのも事実です。
また、もう一つの有名な政策が**焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)**です。これは思想統制の一環として、儒教など国家方針と異なる思想の書物を焼却し、批判的な儒学者を粛清したとされるものです。ただし、実用書(農業・医療・占いなど)は対象外とされ、現代で語られる「生き埋め伝説」には誇張も含まれます。
それでも、この政策は「思想の自由を封じた」として後世の批判にさらされることが多く、始皇帝の評価が分かれる要因のひとつです。
思想と文化を支配した法家思想
始皇帝の政治の根幹には、「法家(ほうか)思想」がありました。これは、孔子のように道徳や礼儀を重んじる儒家とは真逆の考えで、「法律による厳格な支配こそが国家を治める道」という思想です。
法家の代表的人物には、改革者の商鞅、始皇帝の補佐役であった李斯(りし)などがいます。特に李斯は、全国的な統治制度の整備や焚書政策の推進を担った人物として知られています。
この思想によって、始皇帝は**身分や血統ではなく「法の下の平等」**という新しい統治理念を取り入れました。一方で、法の厳しさが過ぎたため、民衆の生活は重圧にさらされ、やがて秦の短命な終焉につながったとも言われています。
それでも、法家思想は中国史上に深い足跡を残し、近代における国家統治モデルにも大きな影響を与えたと考えられています。『キングダム』でも、政治の理想と現実の間で葛藤する場面が多く描かれ、歴史の重みを読者に訴えかけてきます。
始皇帝の最期と秦王朝の滅亡
始皇帝の死因と死後の混乱
中国史上初の皇帝として絶大な権力を誇った始皇帝・嬴政(えいせい)ですが、その最期は突如として訪れます。紀元前210年、始皇帝は巡幸の途中で急死しました。享年は50歳です。
死因には諸説ありますが、最も有力とされているのが水銀中毒説です。始皇帝は不老不死を強く望んでおり、仙薬として水銀を服用していたという記録が『史記』などに見られます。現代の視点から見れば、これが体に深刻な影響を及ぼした可能性は非常に高いと考えられています。
しかし、始皇帝の死がさらに混乱を生む原因となったのが、死の事実を隠蔽した側近たちの行動です。宦官・趙高(ちょうこう)と丞相・李斯(りし)は、葬儀が行われる前に後継者問題を密かに処理し、本来皇太子となるはずだった扶蘇(ふそ)を自害に追い込みます。代わりに即位させたのが、始皇帝の末子である**胡亥(こがい)**でした。
この「密室での後継者すり替え劇」が、秦王朝を急速に崩壊へと向かわせる引き金となったのです。
二世皇帝・胡亥と秦滅亡までの3年間
胡亥は「二世皇帝」として即位しましたが、父である始皇帝のような政治的手腕は持ち合わせておらず、実権は事実上、趙高によって握られていました。この頃の秦は、国内の不満が極限まで高まっており、その原因の多くは重税や過酷な労役、思想弾圧などにありました。
民衆は次第に怒りを爆発させ、各地で反乱が勃発します。**陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)**はその最たるもので、これが全国的な反秦運動の火付け役となりました。
胡亥は、父の偉業を継ぐどころか、多くの王族や官僚を粛清し、内部崩壊を加速させました。趙高はさらに権力を強化しますが、やがて胡亥自身も趙高によって自害に追い込まれ、秦はわずか3年で滅亡の道をたどります。
最終的には、農民出身の劉邦(りゅうほう)や、楚の名門出身の項羽(こうう)らが台頭し、秦の支配は完全に終わりを迎えます。始皇帝が築き上げた巨大帝国は、まるで蜃気楼のように、瞬く間に消えていったのです。
楚漢戦争と漢の興隆へ
秦の滅亡後、中国は再び群雄割拠の時代に突入します。そこで中心となったのが、**楚の項羽と、漢の劉邦による「楚漢戦争」**です。この戦争は紀元前206年から紀元前202年まで続き、中国全土を巻き込む大規模な争いとなりました。
項羽は武勇に優れ、短期間で各地を制圧するほどの戦力を誇っていました。一方で、劉邦は人望や統治能力に長け、次第に支持を集めていきます。そして、紀元前202年、垓下の戦い(がいかのたたかい)で項羽が敗れ自害したことで、楚漢戦争は終結。
このとき、劉邦が打ち立てたのが**「前漢王朝」**です。ここに、秦の失政を乗り越えた新たな中華帝国が誕生しました。なお、漢王朝は儒教を国の中心に据えることで、秦の法家思想に偏った政治から脱却しようとしました。
始皇帝の強権政治から一転し、民衆に寄り添う国家を目指す漢の姿勢は、のちの中国王朝のスタンダードとなっていきます。
キングダムと三国志の時代の関係
秦の統一から三国時代までの約400年
『キングダム』で描かれる時代は、紀元前245年ごろから始まり、紀元前221年の中国統一が一つの大きなゴールとなっています。一方、あの有名な『三国志』の時代が本格的に始まるのは、紀元184年の黄巾の乱から。つまり、両者の間には約400年の時代差があります。
この間に存在したのが、**前漢(紀元前202年〜紀元8年)→新(王莽による短命政権)→後漢(25年〜220年)**という流れです。秦が短命だったのに対し、漢王朝は400年以上続いた長期政権であり、政治的にも文化的にも非常に安定していた時代でした。
また、漢の時代には儒教が制度として確立され、「礼」「徳」「義」などの価値観が国家運営の中核をなしていきます。これは法を絶対視した秦との明確な違いと言えるでしょう。
両作品をつなぐ歴史の流れと視点の違い
『キングダム』と『三国志』は、どちらも中国の歴史を題材にしていますが、描かれる時代背景とテーマにははっきりとした違いがあります。
キングダムは、「混乱の終わり」としての統一を描いており、国家をひとつにまとめあげる過程、そしてそれを可能にした政治制度や思想、英雄たちの奮闘が軸となっています。特に、**“どうやって国家を創るか”**という視点に立っています。
一方の三国志は、「統一の崩壊と再構築」がテーマです。後漢の腐敗から始まり、魏・呉・蜀という三つの国家に分裂し、それぞれが再び統一を目指す物語。そのため、**“どうやって国を守るか・再建するか”**という視点が強く描かれています。
視点は異なりますが、どちらの作品も「国家と人間」がどのように関わるべきか、という普遍的な問いに向き合っている点では共通しています。歴史を通じて、時代が人を育て、人が時代を動かしていく――それが『キングダム』と『三国志』を通じて私たちが感じられる最大の魅力ではないでしょうか。
まとめ:キングダムを史実からもっと楽しむために
キングダムで描かれる“時代”の本質
『キングダム』は単なる歴史漫画ではありません。紀元前245年ごろから始まる春秋戦国時代の終盤という、まさに中国史における転換点を舞台に、個人と国家、夢と現実が交差する壮大な物語を描いています。
この時代の本質は、長い分裂と混乱を経て、**統一という理想を現実に近づけた“変革の時代”**であることにあります。紀元前770年から始まった春秋戦国時代は約550年ものあいだ群雄が割拠し、互いに争い続けてきました。そんな中で秦が他の六国を圧倒していく過程は、まさに古代中国の国家形成の集大成でもあります。
物語の中では、信(しん)や嬴政(えいせい)をはじめとする若者たちが、「中華統一」という果てしない目標に向かって突き進みます。彼らの戦いは、単に国を取るか取られるかという争いではなく、「どんな国を作り、どう統治するか」という未来への挑戦そのものなのです。
『キングダム』が人気を集める理由のひとつは、まさにこの“時代そのものが持つ緊張感と希望”を丁寧に描いているからと言えるでしょう。
歴史の知識が作品の理解を深める理由
『キングダム』の物語をより深く味わうためには、史実を知ることがとても大切です。たとえば、物語が始まる頃には嬴政はまだ若年の王であり、秦の国内すら一枚岩ではありませんでした。しかしそこから、商鞅の変法によって築かれた制度を活かし、最終的に紀元前221年に中華を統一するまでの過程は、歴史としても非常にドラマチックです。
また、史実では趙・楚・魏・燕・韓・斉といった戦国七雄がどのような戦略で秦と対峙し、どう滅ぼされていったのかを知ると、漫画の中で描かれる各国の抵抗や武将たちの覚悟が一層リアルに感じられるようになります。
さらには、統一後の始皇帝による政策――度量衡の統一、小篆の制定、万里の長城の建設、焚書坑儒など――は、現代にまで続く「中国の国家像」の原型とも言えるほどのインパクトを持っていました。その反面、強権的な体制が民衆の反発を生み、わずか3年で秦王朝が滅びるという皮肉な結末も、歴史の深みを教えてくれます。
史実を踏まえて作品を読み進めると、登場人物の一言一言、戦の一つ一つに背景が見えてきて、物語全体が“歴史の一部”として迫ってきます。歴史を知ることは、登場人物の行動原理を理解し、より強く感情移入できる土台を作ってくれるのです。
『キングダム』という作品は、歴史ファンにとっては再発見の連続であり、歴史に詳しくない方にとっては最高の“入り口”でもあります。だからこそ、この時代に興味を持った今こそ、史実を味方につけて、より深く作品世界に浸ってみてはいかがでしょうか。